3月29日(日) 聖書箇所よりショートメッセージ「イエス泣く」

説教

ヨハネ福音書11章35節「イエスは涙を流された」

上記の聖書箇所は、弟ラザロを亡くしたマルタ、マリア、さらに友人たち、その悲しみに寄り添い共に泣かれるイエスの愛が現れている言葉に思えます。ただし、ギリシャ語でも英語の聖書でも、この箇所を直訳するなら、「イエス、泣いた」と二単語だけで少々ぶっきらぼうに表現されています。よく前後関係を読むと、イエスは憤っている中で泣いておられるという要素も読めてくるのです。

肉体的なこの世の死が、あたかもすべての終わりであるかのごとくに思ってしまう人々へのイエスの憤りの涙であるようにも思えます。 イエスはこの世の終わりは、決して終わりではないことを、このラザロの蘇生と、さらにイエスご自身の復活を通して教えてくださいます。

とくに新型コロナウィルスで、いろいろ心配してしまう私たちです。 しかし、永遠の命に生きるイエスが、その心配の真っ只中で、そこに寄り添ってくださっていること、またこの世の死が決して終わりではないこと、この二つのことを確証できますように。 洗礼の恵みは、その確証への入り口ともいえます。  

洗礼をご希望の方、牧師にご相談ください。 ぜひ洗礼を受けられますように。