6月14日の説教から 「弱り果てても」

2020年6月21日説教

福音書  マタイ 9:35~10: 8

9: 35イエスは町や村を残らず回って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、ありとあらゆる病気や患いをいやされた。 36また、群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた。 37そこで、弟子たちに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。 38だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。」

10: 1イエスは十二人の弟子を呼び寄せ、汚れた霊に対する権能をお授けになった。汚れた霊を追い出し、あらゆる病気や患いをいやすためであった。 2十二使徒の名は次のとおりである。まずペトロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレ、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネ、 3フィリポとバルトロマイ、トマスと徴税人のマタイ、アルファイの子ヤコブとタダイ、 4熱心党のシモン、それにイエスを裏切ったイスカリオテのユダである。

5イエスはこの十二人を派遣するにあたり、次のように命じられた。「異邦人の道に行ってはならない。また、サマリア人の町に入ってはならない。 6むしろ、イスラエルの家の失われた羊のところへ行きなさい。 7行って、『天の国は近づいた』と宣べ伝えなさい。 8病人をいやし、死者を生き返らせ、重い皮膚病を患っている人を清くし、悪霊を追い払いなさい。ただで受けたのだから、ただで与えなさい。 

主イエスキリストの恵みと平安が、集まりました人々の心の中に豊かに注がれますように! 

非常事態宣言のため4月12日の復活祭から、先月いっぱい礼拝を休止しておりましたし、わたしは九州学院の授業を担当してましたが、3月はじめから休校。 さらに、社会福祉法人の慈愛園の聖書会や職員礼拝などについても、2月終わりからもうやらない、ということで、実に家にいることが多い3ヶ月間でした。

その間、これはいったい何なんだろうという出来事がおこりました。私たちは小犬を飼っていて、夕方犬の散歩に出かけます。すると学校が休みで夕方遅くまで公園で遊んだりしている小学生たちが私たちの犬を大好きになってくれました。おかげで何人もの小学生たちと友達になりました。

そのうち、4月に入ってから子供たちは4時になると、日によっては3時に来ちゃうこともありましたが、数人で私の家にやってきて、犬のごはんをやり、散歩にもつれていき、うんちの世話までしてくれるようになりました。そして、私は家の外に机を出してあげて、お絵かきをしたり、英語を教えたり、しました。

ただ、ある二人は4人兄弟のうち小学校5年と4年の下二人ですが、とくに一番下の子は、楽しそうではあるのですが、「疲れた」という言葉を連発するんですね。話を聞いてみると、去年までは仮設住宅に住んでいたけど、やっと住める家がみつかり、今は兄弟4人、おかあさん、おばあちゃん、おじさん、おばさん8人で、小さな家に住んでいて、下二人は家では居場所がない状況を、すなおに打ち明けてくれました。小犬の世話をしているときは本当に楽しそうではありますが、熊本の地震で大打撃を受けた家庭の一員であり、また今のコロナでも弱り果てている家庭の一人であるように思えてしまうのです。

さて、与えられた福音書、「群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれている」と書かれていましたが、この光景、なにか新型コロナによる病になる人々そして、経済的な疲弊がこれからどんどん痛みをおってくる状況と重なってくるものを感じないでしょうか。 そのとき、イエスさまがまず、多くの人の病を治し、元気を与えられてはいました。

でも、イエス一人だけでは所詮、その地域だけに限られます。 そこで、イエスは、どうされたのか。 今日の聖書箇所の10章以降になりますが、弟子たちを呼び寄せ、病を癒せる、そして悪い空気があるようなところでは、それを追い払う、そんな権能を与えてくださるのです。そして、12人の弟子たちを派遣してくださるのです。 その12人がだれであったか、いろいろつわものどもというか、熱心党のシモンなんて書いてありましたが、これは根っからのユダヤ保守派的な弟子だったように思われる者がいるかと思えば、徴税人マタイもいて、徴税人ということはこれは、もう政治的にはユダヤを制圧したローマ寄りの人間ですよね。 いろんな人が選ばれたようです。 そんな多彩な人間が選ばれて、派遣されていったんですね。 

といってもたった12人で、地域はユダヤ限定。そのときは、全世界宣教なんていう話にはまだまだなっていない、はじめの、宣教派遣の試しのような面がありました。 そして「神の国は近づいた。」というグッドニュースをまずはユダヤの人々に伝える宣教でした。 

いま、今日の聖書箇所を振り返るにあたって、疲れ果てている人々に、希望をもたらす宣教師派遣ということだけを話してしまいました。 何を言いたいかというと、事情に対する行動をとりあげてお話しましたが、その途中の大切なことを私はいま、抜かしてお話してしまいました。 

36節の後半から38節に書いてあったところです。 「群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、」イエスが「深く憐れまれた。」イエスが憐れんでおられるのです。 そして、いきなり弟子たちを派遣したんではないんですね。 「収穫は多いが、働き手が少ない。 だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。」 これは、人間を獲る漁師にしようとして呼ばれた弟子たちが収穫するための、働き手を送ってくださるように、主に願いなさい、ということであります。 つまり「全知全能の神に祈りなさい。」ということです。 群集が飼い主の居ない羊のような弱り果てている状況を、主が憐れんでくださっていること、それを覚え、主に祈りなさいこのステップは、とても重要なのです。 

わたしたち、4年前の熊本地震だけではなく、日本中のいろいろな地域、さらに世界でも、多くの災害を21世紀に入ってからは頻繁に体験しているように思います。 そして、ほぼ世界同時に昨年末に現れたCOVID19というウィルス感染に対して、たいへんな状況になっております。世界中で弱り果てている子供たちも大人も、わたしたちは見て、なんとかしなければと、医療機関でも政治家も行動をとるべく動いています。

でも、このような状況にあって、今日の聖書箇所から、一番に気づいておきたいことは、主なる神が、いま羊飼いがいないような、弱り果て、打ちひしがれている羊になっている世界の民ひとりひとりを、主が憐れんでくださっていること、まず、そこにひとつ心を留めたい思います。 

そこには、大きな喜び、希望につながるものがあるのではないでしょうか。

そして、イエスは言われているんです。 主に願いなさいって、祈りなさいって。一番に大切なことは、人知を超えて神との関係です。 そこがベースになって、次の行動が出てくることでしょう。

お祈りします: 

天の神様: 昨年末に見つかったウィルスが世界中に広がり、たいへんな事態になりました。 この日本では一時的にウィルスは収まりつつはありますが、日々の生活に、経済に甚大な影響を及ぼし、困り果て、弱り果てている人々にあふれています。そこにあなたが共に居てくださって、憐れんでくださっていること、感謝します。 あなたは、力と愛と思慮分別の霊を送ってくださっています。 そしていつも喜び、絶えず祈り、どんなことにも感謝するようにと教えてくださいました。 そして、このような事態にあって、働き人を送ってくださるように祈りなさいとも、改めて教えてくださいました。 どうか、働き人を送ってください。 いろんな行動をすでにとっておられるなかで、ああでもないこうでもないと試行錯誤している面があります。 どうか、あなたにフォーカスし、祈り、つねに、あなたを源として、歩み続け、あなたからの使命である、あなたからの良き知らせを忠実に伝えることができますように導いてください。感謝と願い、主イエスキリストのお名前によって祈ります。 アーメン。