11月22日(日) 聖書箇所からショートメッセージ 「最も小さき者に」

説教

マタイによる福音書 25章31~40節: 31「人の子は、栄光に輝いて天使たちを皆従えて来るとき、その栄光の座に着く。 32そして、すべての国の民がその前に集められると、羊飼いが羊と山羊を分けるように、彼らをより分け、 33羊を右に、山羊を左に置く。 34そこで、王は右側にいる人たちに言う。『さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。 35お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、 36裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。』 37すると、正しい人たちが王に答える。『主よ、いつわたしたちは、飢えておられるのを見て食べ物を差し上げ、のどが渇いておられるのを見て飲み物を差し上げたでしょうか。 38いつ、旅をしておられるのを見てお宿を貸し、裸でおられるのを見てお着せしたでしょうか。 39いつ、病気をなさったり、牢におられたりするのを見て、お訪ねしたでしょうか。』 40そこで、王は答える。『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』

ショートメッセージ: 私は、小さき花の幼稚園というキリスト教幼稚園に行きましたが、よくそのことを思い出します。そこでの教えが、いかに大切だったか、人間の本質的な存在にかかわる、もっとも大切な教えだったかを。小さき花で繰り返し習っていたこと、それは「神様は、あなたがどんなに小さき者であろうとも、神様はあなたのことを大好きでいっしょにいてくださいますよ。」すなわち、神が私に、いつもいっしょにいってくださるのですが、わたしたちの周りのすべての人々にも、神ご自身が造られた人として、大好きで、ともにやどってくださっている、やどろうとしてくださっているのです。