11月17日(日) 福音書箇所よりショートメッセージ
ルカ福音書20章37-38節:死者が復活することは、モーセも『柴』の個所で、主をアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神と呼んで、示している。 神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。すべての人は、神によって生きているからである。
ショートメッセージ: ここで「柴」とあるのは、出エジプト記3章に出てきた柴で、シナイ山で神がモーセに現れ、自らを説明していたところです。そしてモーセをエジプトで奴隷状態にあったイスラエルの民を解放へと導く指導者として任命したのです。 そのときに、神は「わたしは あなたの父の神である。アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。」といって現在形で数百年前に死んだ先祖たちの神であると説明しているのです。
今も神はアブラハム、イサク、ヤコブとも共にいて、導いており、さらに同じ神が現在この世にいる子孫たちも見守り導いておられるということは、奴隷状態にある者たちに希望がわいてくるのです。 そしてイエスは、「神は死んだものの神ではなく、生きている者たちの神なのだ。」と述べ、さらに「すべての人は、神によって生きているからである。」との言葉には、この世の死が訪れても復活の命に生きられることが、出エジプト3章ですでに暗示されていたことであるのです。
旧約聖書には、「復活」という言葉自体は、ダニエル書以外ではほとんどつかわれていない言葉です。しかし、モーセの時代から復活が暗示されていたことに、どんな時代であろうが、過去にこの世を去ったものに、復活の希望があることに思いをめぐらせてはいかがでしょうか。