1月26日の聖書箇所よりショートメッセージ「神がお呼びです。」
マタイ福音書4章 18-22節: 18イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、二人の兄弟、ペトロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレが、湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。 19イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。 20二人はすぐに網を捨てて従った。 21そこから進んで、別の二人の兄弟、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、父親のゼベダイと一緒に、舟の中で網の手入れをしているのを御覧になると、彼らをお呼びになった。 22この二人もすぐに、舟と父親とを残してイエスに従った。
ショートメッセージ: マタイが記述する、最初の4人が弟子になっている様子は、とても短く、あっという間に4人はイエスに従っています。 ヨハネやルカでは、弟子になるのに、もう少しやりとりがあります。 たとえば、ヨハネでは、アンデレともう一人が、イエスがどこに泊まっておられるか見に行ったりしています。 ルカでは、イエスとペトロの間に、船をどこに出すかについてのやりとりがありました。 だからマタイの記述はややびっくりしてしまう光景なのです。
だからといって、マタイの記述は信じられないということを言いたいのではありません。 意味深い要素を増してきているように思えます。 究極的に、マタイは、とくに神の一方的な呼びかけが強調されているのだと思うのです。 現代において、イエスに従う者になる、キリスト者になるという私たちの決断はあたかもわたしたちが主語であるかのごとくに話してしまいますが、究極的には、最初から神からの呼びかけがあって、それにただ答えているに過ぎないのです。