3月1日(日) 聖書箇所よりショートメッセージ 「新型コロナは悪魔か?」
マタイによる福音書/ 04章
01節 さて、イエスは悪魔から誘惑を受けるため、“霊”に導かれて荒れ野に行かれた。02節 そして四十日間、昼も夜も断食した後、空腹を覚えられた。03節 すると、誘惑する者が来て、イエスに言った。
新型コロナのおかげで、世界が脅えており右往左往しております。日本もその真っ只中におります。新型コロナは悪魔のような存在なんでしょうか? その質問について答えようとする前に、まず悪魔とはなにか、ちょっとお話します。 悪魔とは、神と人間の関係を脅かすもの、また人間と人間の関係を脅かすものといえるでしょう。
新型コロナで教会によっては礼拝をしなくなっている人口密集地の教会も出てきています。そう考えると、新型コロナは悪魔のような存在と思えてしまうかもしれません。しかし、隣人との感染を防ぐために、隣人を思いやるゆえに、礼拝を控えているのです。また、いろいろなところに出かけなくなることで、自宅で神との関係を深められるということも起こっている方もいることでしょう。 つまり、新型コロナで起こっている事態をどう受け取るかによって、悪魔にもなるし、逆にむしろ神との関係も隣人との関係も強めるものになってくるように思うのです。
先週の灰の水曜日から四旬節(受難節とも呼びます)に入りました。 この期節に、新型コロナウィルスが流行していること、偶然ではなく、意味ある偶然だと思います。とらえかたによっては、イエスが悪魔の誘惑を受けるために荒れ野に行かれたという今日の聖書の言葉にあったように、わたしたちも新型コロナウィルスからの誘惑を受けるためにこのような状態になっているように思います。たとえ、教会に行けない、兄弟姉妹と会えないということがおこっても、神を畏れ敬う関係、つまり私たちの罪の赦しのために十字架にかかってくださったイエスとの関係を第一にして、またそれと同じくらいに、兄弟姉妹のことも思い祈りあう、そのように主なるイエスは私たちとともにいて、導いてくださっている受難節なのではないでしょうか。