7月11日 「矛盾の中にある神の愛」福音書箇所 マルコ6:14-29よりショートメッセージ
マルコ 6:14~29
6: 14イエスの名が知れ渡ったので、ヘロデ王の耳にも入った。人々は言っていた。「洗礼者ヨハネが死者の中から生き返ったのだ。だから、奇跡を行う力が彼に働いている。」 15そのほかにも、「彼はエリヤだ」と言う人もいれば、「昔の預言者のような預言者だ」と言う人もいた。 16ところが、ヘロデはこれを聞いて、「わたしが首をはねたあのヨハネが、生き返ったのだ」と言った。 17実は、ヘロデは、自分の兄弟フィリポの妻ヘロディアと結婚しており、そのことで人をやってヨハネを捕らえさせ、牢につないでいた。 18ヨハネが、「自分の兄弟の妻と結婚することは、律法で許されていない」とヘロデに言ったからである。 19そこで、ヘロディアはヨハネを恨み、彼を殺そうと思っていたが、できないでいた。 20なぜなら、ヘロデが、ヨハネは正しい聖なる人であることを知って、彼を恐れ、保護し、また、その教えを聞いて非常に当惑しながらも、なお喜んで耳を傾けていたからである。 21ところが、良い機会が訪れた。ヘロデが、自分の誕生日の祝いに高官や将校、ガリラヤの有力者などを招いて宴会を催すと、 22ヘロディアの娘が入って来て踊りをおどり、ヘロデとその客を喜ばせた。そこで、王は少女に、「欲しいものがあれば何でも言いなさい。お前にやろう」と言い、 23更に、「お前が願うなら、この国の半分でもやろう」と固く誓ったのである。 24少女が座を外して、母親に、「何を願いましょうか」と言うと、母親は、「洗礼者ヨハネの首を」と言った。 25早速、少女は大急ぎで王のところに行き、「今すぐに洗礼者ヨハネの首を盆に載せて、いただきとうございます」と願った。 26王は非常に心を痛めたが、誓ったことではあるし、また客の手前、少女の願いを退けたくなかった。 27そこで、王は衛兵を遣わし、ヨハネの首を持って来るようにと命じた。衛兵は出て行き、牢の中でヨハネの首をはね、 28盆に載せて持って来て少女に渡し、少女はそれを母親に渡した。 29ヨハネの弟子たちはこのことを聞き、やって来て、遺体を引き取り、墓に納めた。
小説教:
この福音書箇所だけを読むと、なんでこれが良き知らせなのかと思ってしまいます。 しかし、人間良き知らせを聞きたいと思っても、現実悪い知らせが聞こえてくる、心の奥底では悪い知らせを聞きたがっている現実があるのだと思います。
なんであの悲惨な場面、たとえば9.11の旅客機がビルに突っ込む場面、あるいは2011年の津波、最近では熱海の土砂崩れ、が何度も放映されるのか、そして見ている自分がいるのです。
聖書に書かれたことを振り返ると、ヘロデ一家が、ヨハネを悲惨な死に追いやっただけではなく、ユダヤ人も異邦人も凶暴してイエスを十字架刑にかけて殺してしまったのは事実で、その話を2000年間くりかえし、私たちは語り続けてきています。
そして、これからもイエスの十字架は、語られ続けられるでしょう。 洗礼者ヨハネが処せらたストーリもも回数は少ないですが、聖書箇所として繰り返し読まれるのです。なぜでしょう? そこには、神の秘められた愛があるのです。
イエスの死は、死では終わりませんでした。死によって死は滅ぼされました。復活の力があり、復活の命により、どれだけ、人類は、慰められ、癒されているか計り知れないものがあります。
もっとも大切なことは、矛盾に満ちた行動をとってしまう人間であっても、そこに注がれている、秘められた神の愛に、私たちは思いめぐらすことが大切です 。
どんな困難、どんな悲惨な死と思われるようなことがおこったとしても、その真っ只中におられる主イエス、いっしょに困難を経験してくださり、慈しみと恵みに満ちた主イエスの働き、世に勝利されている主イエスの愛に気づきますように!