7月5日(日) 聖書箇所よりショートメッセージ「重荷が軽い」

説教

マタイによる福音書11章28-30節:28疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。 29わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。 30わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」

自分の人生、なぜこんなに重荷を負わなければならないかと思われたことありますか?  重荷というと 思い出すのは、私は牧師になる前は会社勤めをしていましたが、担当した子会社は借金がどんどんかさみ普通ではとても返済し得ない金額になってしまったことがありました。 

イエスは重荷を負うことに関して、軛(くびき)のたとえを語られています。 軛(くびき)とは荷車や農具を引かせるために、2頭の牛(またはロバ)を横につなぐものです。イエスは「わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽い」と言われるのです。なぜこんなことを言われるのでしょう?

軛はくびきは、「二頭立て」なのです。 わたしがかかえていた借金でも、その重荷をイエスが共に担ってくださっていたと今は本当に思えます。 だからとんでもない借金も、今思えば「軽かった」のです。

そして、いま現代の新型コロナに関連した重荷にしろ、先週末から起こってしまった九州豪雨災害でもたいへんな状況にあります。いまイエスさまは何を語っておられるのでしょう。 

「疲れた者、重荷を負う者」を「休ませてあげよう」というイエスの言葉。現代の新型コロナやさまざまな災害の中で、病にしろ、経済的、精神的な苦境にしろあらゆる重荷の中で生きるわたしたち、どれほどこの言葉を必要としていることでしょうか。

そこに、イエスは、「今日、わたしはあなたの重荷を共に担う」と語りかけてくださっています。イエスが共に担ってくださっているので重荷は重くありません。軽いのです。