10月4日(日)「委ねられた物」ショートメッセージ

説教

与えられていた聖書箇所からイエスのたとえ話を抜粋します。

マタイ21章33節から40節: 33「もう一つのたとえを聞きなさい。ある家の主人がぶどう園を作り、垣を巡らし、その中に搾り場を掘り、見張りのやぐらを立て、これを農夫たちに貸して旅に出た。 34さて、収穫の時が近づいたとき、収穫を受け取るために、僕たちを農夫たちのところへ送った。 35だが、農夫たちはこの僕たちを捕まえ、一人を袋だたきにし、一人を殺し、一人を石で打ち殺した。 36また、他の僕たちを前よりも多く送ったが、農夫たちは同じ目に遭わせた。 37そこで最後に、『わたしの息子なら敬ってくれるだろう』と言って、主人は自分の息子を送った。 38農夫たちは、その息子を見て話し合った。『これは跡取りだ。さあ、殺して、彼の相続財産を我々のものにしよう。』 39そして、息子を捕まえ、ぶどう園の外にほうり出して殺してしまった。 40さて、ぶどう園の主人が帰って来たら、この農夫たちをどうするだろうか。」


ショートメッセージ: この聖書のたとえ話、ぶどう園は地球、ぶどう園の主人は神、農夫たちは人間、使用人や息子は神の言葉の預言者(言葉を預かり世に伝える人)とイエスを表していると考えられます。 神は地球や自然、動植物、そして人間という被造物を造られました。 そして、人間に管理を任せておられます。つまり、この地球や自然は人間に委ねられているだけなのです。 


ところがたとえ話の農夫たちがぶどう園を委ねられた物を、自分の物だと思ってしまったように、いつのまにか、地球も自然も、自分たちだけのものとしてしまい、神の遣いやイエスが顕れても、話を聞かずに殺してしまっているような面があるのです。


今日の聖書箇所から、私たちに委ねられている物はいったいなんなのか、考えさせられます。  
すぐに思いつくことは、上のぶどう園に例えられた地球の資源や環境はもちろんでしょう。でも一人一人がもつ、お金とか持ち物。 権力や才能。地位とか立場。 選挙権。 それらは皆、神がわたしたちに委ねている物といえるのではないでしょうか。それをわたしたち人間は、いつの間にか、自分勝手に使ってよいものと思い込んでしまっていないでしょうか。

わたしたち、神から委ねられているものが、だれにでもあるのです。 その委ねられたもの、神の御心にかなうように、使ってまいりましょう。