10月20日(日)「イエスさま不正をお好き?」よりショートメッセージ

説教

ルカによる福音書/ 18章
01節 イエスは、気を落とさずに絶えず祈らなければならないことを教えるために、弟子たちにたとえを話された。02節 「ある町に、神を畏れず人を人とも思わない裁判官がいた。03節 ところが、その町に一人のやもめがいて、裁判官のところに来ては、『相手を裁いて、わたしを守ってください』と言っていた。 04節 裁判官は、しばらくの間は取り合おうとしなかった。しかし、その後に考えた。『自分は神など畏れないし、人を人とも思わない。05節 しかし、あのやもめは、うるさくてかなわないから、彼女のために裁判をしてやろう。さもないと、ひっきりなしにやって来て、わたしをさんざんな目に遭わすにちがいない。』」 06節 それから、主は言われた。「この不正な裁判官の言いぐさを聞きなさい。 07節 まして神は、昼も夜も叫び求めている選ばれた人たちのために裁きを行わずに、彼らをいつまでもほうっておかれることがあろうか。 08節 言っておくが、神は速やかに裁いてくださる。しかし、人の子が来るとき、果たして地上に信仰を見いだすだろうか。」

今日の聖書の話、かなりユニークな譬え話です。イエスは弟子たちに、気を落とさずに祈ることの大切さを教えるために、本当に突拍子もない譬え話をしています。夫を亡くした女性と不当な裁判官が出てきています。裁判官は人を人ともおもわず、また神をも畏れない人間でした。 その未亡人が現代でいうおれおれ詐欺にでもあったかのようなことがあり、なんとか訴えて裁いてもらいたいと思ったのでしょう。そして担当の裁判官は上述のごとくひどい人でした。しかし、彼女はしつこく、裁判官を訪問し、裁いてもらうようにお願いするのです。結果、裁判官は彼女の言うなりになるのです。ここで、不当な裁判官とやもめの関係が、主なる神と弟子たちの関係にあたります。 そして不当な裁判官だってしつこく願えば、対応するのだから、ましてや民を愛する正義の神が、不遇な目にあう人からの願いを聞かないことはないのですよ、という祈りが本当に大切なことを教えるための突拍子もない譬え話をしていたのです。今日の譬え話は一つの例にすぎません。 不正をする管理人が神からほめられるという譬え話もあったりします。そのような譬え話に、しばしば、私たちは混乱してしまう面もあるのですが、より深く考えさせられ記憶に残ってきます。 今日の要点は、あきらめずに繰り返し、絶えず祈ることの大切さでした。